〈対話法〉の独自性について 2007.6.18 私は、〈対話法〉に関する当ホームページやメーリングリスト、またメールマガジンなどで、「浅野が考案した」「独自の」などという言い方をしていますが、これらの言葉の意味について、誤解のないように説明しておきたいと思います。
私は、〈対話法〉が、「これまで誰も発表したことのない全く新しい概念や技法である」ということを言いたいわけではありません。
また、決して、著作権法上の権利や学術研究上のオリジナリティを主張することが目的でもありません。「聞くことの大切さ」は、人間関係を築くための当たり前の方法ですから、すでに、数えきれないほどたくさんの先人によって、幾たびとなく提唱されてきました。その「練習方法」も同様です。
しかし、それらに共通しているのは、「聞くことの大切さ」以外のこともたくさん提言しているので、「聞く」ことの重要性が薄れてしまいがちなことでした。また、「練習の大切さ」もあまり強調されていませんでした。
しかし、人間関係にとって最も大事なのは、たくさんの知識や技法を「知る」ことでも「覚える」ことでもなく、実行することです。また、できるかぎり、練習によって熟練することです。私はこのように考えて、〈対話法〉を提唱しています。
私が知る範囲では、〈対話法〉のように「これだけやればいい。練習が大切である」というシンプル(しかし奥が深いです)な提言は、これまでにありませんでした。
ですから、「最も大切なことだけを提言している」という意味では、私が提唱する〈対話法〉は、独創的と言えるのではないかと自負しています。
■〈対話法〉と同じ技法を提唱している人や文献などをご存知の方がいらっしゃいましたら、浅野までお知らせいただければ幸いです。同じ方向を目指す一人として協力させていただく所存です。
■さらに詳しいことは、著書『こころの通う対話法』で説明しております。
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